6番染色体長腕部分欠損の症状は?
6番染色体長腕部分欠損の症状は軽い?
6番染色体長腕部分欠損の症状は重いの?
6番染色体長腕部分欠損だと将来どうなるの?
6番染色体長腕部分欠損という事実を受け入れることができた?
などなど、気になることが沢山あると思います。
あくまでも私の息子の場合はこうだったよというのを前提として軽く聞いてもらえればと思い書き留めることにしました。
なぜなら息子が生まれて病気がわかった時、鬼のように検索しても答えがなかった。
自分を慰めてくれるサイトには辿り着けなかったからです。
少しでも心がフワっと軽くなるように希望も含めつつ今の息子の現状も交えてご紹介します^^
目次
6番染色体長腕部分欠損の症状を持って生まれた息子
6番染色体長腕部分欠損の症状を持って生まれてきた息子は確か正産期の40週に生まれたと思います。
特に前から6番染色体長腕部分欠損の症状があるとか診断されたこともなく普通分娩で元気な産声をあげて出て来ました…
というのはちょっと違って、泣いてはいましたがガラガラと喉に泡が絡まるような泣き声でした。
その後、息子は呼吸がしんどそうという理由で保育器に移動。
この時はまだ特にそれ以外変わったことはありませんでした。
6番染色体長腕部分欠損の症状があると分かったのはずっと後になってからです。
それから息子は私よりも1日後に退院。
1日退院が延びたのも黄疸値が少し高かったからです。
しかし、その後の育児で気になる点があったのは確か。
結局4ヶ月検診の時に「要精密検査」となってしまいました。
その時の気になる点というのがこちら。
-
低緊張
-
泣くとそりかえる
-
低体重(ミルクの飲む量が少ない)
-
泣いて力んだ時に鼠蹊ヘルニアの疑い
私の家にはお姉ちゃんもいますが、全く娘とは発育が違った為「あれ?おかしいな…」という気持ちではあったもののまさか障害があるとは思っていませんでした。
しかしその後検査のために入院。
最終的に染色体異常の検査の結果で6番染色体長腕部分欠損だと告げられました。
一瞬にして奈落の底に突き落とされた…
夫婦ともにそんな心境だったと思います。
6番染色体異常についての症例が少ない?
とにかく検索魔になっても6番染色体異常についての情報がほとんどなかったです。
病院でも「ウチでは症例がない」と言われたほどに本当に稀な染色体異常なんだと思います。
しかし、私が通う療育センターには年下ではあったものの息子以外に6番染色体異常の子どもちゃんが3人もいました。
これって奇跡的なのかもしれませんが、見つけるたびに「え〜!うそー!」とかなりびっくりしましたが、かなり嬉しかった思い出も。
更に、これも奇跡的なのですが昔留学していた先の知り合いの息子さんが実は6番染色体異常だということを知りこれまたびっくり(息子さんは当時確か20代の青年でした)!
私は実際にその息子さんに会って話したこともありますが、障害があるように感じたことがないほど普通でした。
でも他のお兄さんたちと顔がちょっと違うなと思ってはいましたが、喋るしスポーツも万能だし働いてもいたので気づかなかったんです。
ちなみにその息子さんのケースは「Ring6」と言っていました。
英語なので分からないですが、多分想像するに6番の染色体の頭と尾がくっついて輪の様な状態になっているのかな?
と勝手に思っていました。
更に、全く情報がないと思っていた6番染色体異常についてですが、Facebook(Chromosome6で検索すると出てきます)で世界中の6番染色体異常のお母さんたちが集うグループがあることを教えてもらいました。
これは管理者(アメリカ人)に承認されないと入れないし見れないのですが、診断された旨を伝えて入れて欲しいとメッセージを送ればメンバーになれるとのことです。
私も仲介者を通してですが、息子が6番染色体異常であることを伝え入れてもらうことができました。
そして中を覗くと1000人以上の6番染色体異常のお子様の存在がありましたが、誰1人として全く同じ感じではなかったことに驚きました。
更にこちらは英語ですが、uniqueが出しているpdfファイルも検索すると色々と出てきます。
Uniqueの存在はそのオーストラリア人から教えてもらいました。
Uniqueはイギリスの研究機関で希少染色体異常のお子様を持つ家族にいろいろと情報を提供したりなどサポートしてくれるところだと理解しています。
メンバーになると、自分のお子さんの状態などがどう言ったものかアンケートを送ってほしいという内容の封書が届きました(私はメンバーですがアンケートはもちろん英語で難しくて出していません)。
メンバー会費などはなく、定期的にメールで色々な希少染色体異常を持つお子様などの情報の定期便が送られてきます。
Unique has been supporting, informing and networking families and individuals affected by a rare chromosome disorder since it was founded by Edna Knight MBE in the UK in 1984 as the Trisomy 9 Support Group.
(Unique は、1984 年に英国のエドナ ナイト MBE によってトリソミー 9 サポート グループとして設立されて以来、希少な染色体疾患に罹患している家族や個人をサポートし、情報を提供し、ネットワーキングを行ってきました。
Google翻訳にて)
私の息子は長腕(q)の25.3から後ろがないタイプだったので、「6q deletions from 6q25」というpdfファイルをダウンロードし印刷して読んでいました。
更にその後Instagramなどでも検索するとチラホラと6番染色体異常のお子様がいることを知り、そのうちの何人かは今でも繋がっています。
6番染色体長腕部分欠損ってなに?息子の場合
ところで6番染色体長腕部分欠損の症状って言っても様々です。
先にも話しましたが、息子は6番染色体長腕部分欠損(25.3からない)です。
これはつまり6番目の2本ある染色体の内、長腕の方の25.3から後ろがないということでした。
ほんのちょっとだけ部分的に欠損しているのが部分欠損といわれるようです。
調べてもらった後に、染色体の写真?図?でみましたが、本当にほんのちょーっと無いだけ。
でも、ちょっとないだけでこんなにも体に影響が出てくるんだと驚きました。
結局6番染色体長腕部分欠損の症状として色々として合併症がありました。
息子くんが診断された様々な合併症です。
-
咽頭軟化症
-
喉頭軟化症
-
両側停留精巣
-
鼠蹊ヘルニア
-
僧帽弁の逆流
-
腎臓の石灰化
-
左脳の萎縮
-
筋原性側湾症
何だか6番染色体長腕部分欠損の症状と言ってもこれは多分息子の場合。
人によって全く異なってくるんだなぁ。
と分かったのは色んな子供達(6番ちゃん)に実際に会ってから思ったことです。
しかし、症例が少ないもののお医者さんにはこう言われました。
- 身体的に発育が遅れること
- 知的面でも遅れる可能性
- てんかんが出る可能性
そう言われた時はかなり落ち込みました。
こんなに障害を持って生まれた息子…。
可愛いと思えるだろうか?
その時はそう思い育児日記も止まってしまいました。
大変なことは確かに(通院、療育センターへの母子通園、入院や手術)など色々とありました。
しかし、家族ともに乗り越えて行くしかなかった。
ただひたすら1つずつ問題を解決いくしかなかったです。
そして徐々に息子が可愛くて仕方なくなり、今はいなきゃダメな存在に。
6番染色体長腕部分欠損の息子と私の心の変化
6番染色体長腕部分欠損の息子と私の心の変化について書きたいと思います。
今息子は5歳。
もうすぐで6歳ですが、息子の事を受け入れることができています。
しかし、診断されたばかりの時は無理。
誰かに可哀想と思われることや態度がとても嫌でした。
いつになったら6番染色体長腕部分欠損について受け入れられるのか?
そんな風な内容を毎日毎日検索していたのを思い出しました。
いつになったら私は心から笑えるようになる?
鬼のように6番染色体異常について検索しました。
でも納得できるものには1つも出会えませんでした。
中には6番は染色体異常の中でも軽いという情報を見つけては喜んだり。
でも目の前に思っている現実を目の当たりにし落ち込んだり。
予想外のことが起きた時、人の心ってぐるぐる螺旋階段のように喜怒哀楽繰り返しながら受け入れていくみたいです。
その時に読んでいた「発達障害に生まれて」。
この本の中にも障害の子供を持つ親の心がどう変化していくのか書かれていて、とても興味深かったです。
私も何度も落ち上がっては落ちを繰り返し今やっと前を向けていると思います。
そうしているうちに、勧められるがまま息子がまだ0歳の時に療育センターに通い出しました。
最初は療育センターに通うのも嫌でした。
息子に障害があると認めたくなかったんだと思います。
しかし2年経ち3年経つ頃には受け入れることができていたと思います。
何より療育センターに通うことで様々な症状の子供達やお母さんお父さん先生方と出会えました。
その出会いは私の心を確実にほぐしてくれましたし、かなり元気になれたと思います。
療育センターに通う事は子供よりも親のリハビリになるのかもしれないと今なら思います。
そして子供と向き合って行けたんですね。
というか、現状を見て進路を真剣に考えなくてはいけなくなるので理想だけではもうどうしようもなくなってくると言った方が正しいかもしれません。
それまでは2歳や3歳の頃はまだ赤ちゃんでも「きっとどこかで追いつく」「地域の保育園や幼稚園はどうか?」と思っていたところもあります。
決して保育園や幼稚園が悪いと言っているわけではないです。
私のお友達も保育園へ行かせてよかったと今まで通りバリバリと働いているお母さんもいましたから^^
自分の人生が楽しめないのは息子のせいだと思っていたこともありました。
ひどい時はお姉ちゃんだけだったら人生変わっていた?なんて思ったこともありますから。
でも4歳5歳になると息子の症状を受け入れられなかった私でも考えに変化が。
「息子の為に息子が楽しく通えるところが良い」「息子が1番だ」
と思うようになりました。
そして何でも息子のせいにしてちゃいけない、自分も楽しまなきゃ!とライターに挑戦したりも^^
その後4年通った療育センターを卒園。
2023年現在療育園に通っている年長さんです。
来年度からもう小学生!
昔だったら「何が何でも地域の小学校に」と思っていたであろう私ですが今は「支援学校一択」というふうに心が変化していきました。
6番染色体長腕部分欠損の息子は今
6番染色体長腕部分欠損の症状を持った息子は今6歳も目の前。
毎日元気に療育園に通っています。
色々あった合併症も成長とともに改善。
2023年の今は側湾症はあるもののそれ以外は良好。
心配していたてんかんも今の所発症せず、毎年とっていた脳波やMRIの検査も卒業になりました。
歩けるだろうかと心配していましたが2022年の運動会ではテープを自分1人で最後まで歩いて切ることもできました^^
園の外遊びや友達が大好きで毎日通うのがもう楽しみで仕方ないと言った感じです。
今思えば6番染色体長腕部分欠損の症状だと分かった時、隣で寝る息子の姿を見ては「将来歩けている?」「喋れている?」いろんなことを考えては不安でした。
結局息子が歩き出したのは5歳になる直前でした。
ちょうど療育園に通い出し、沢山走り回っているお友達に影響され歩き出したといっても過言ではないかもしれません。
歩けないかもしれない…。
そう不安に思って歩行機も購入し練習していたのですが小学生になる前に歩けたことが奇跡のように思えました。
喋ることはまだできませんが、身振り手振りで言っていることが分かります。
性格が割とはっきりしているので、見てて面白いのですがいつか言葉が出てくれたら良いなと思っています。
来年は支援学校1年生。
どんな成長を見せてくれるのか今から楽しみで仕方ありません。
まとめ
私は息子が6番染色体長腕部分欠損の症状を持っていると知った時、検索魔になっていました。
合併症が色々とあり手術も余儀なくされて来ましたが、その度に息子は頑張ってくれ今も尚成長を続けています。
今、もし診断されたばかりのお母さんお父さんで落ち込んでいるとすれば…。
私からこう言いたいです^^
今はまだ子供の症状を受け入れられなくても良いんです。
受け入れられないのは当たり前だと思います。
自分の子供ですから。
でもいつか子供のことが心から可愛くて「生まれて来てくれてありがとう」って思う日が来たらそれはきっと大きな山を乗り越えた時だと思います。
そしてその日はきっと来ますよ^^